今、一番、心に残っていること ~息子の生まれた瞬間~

4年前の1223日天皇誕生日の朝のことです。私の携帯電話がなりました。もしもしと聞くと、妻の実家のお姉さんからでした。「なおな(妻のあだ名です)、生まれそうやから病院に入院したわ」。私は、急いで新金岡の大阪労災病院に向かいました。

お昼過ぎに到着すると、妻は何事もなかった顔をしています。「あれ、大丈夫?」と聞くと、「ちくちくするけど今は収まってるみたい」といいました。少し安心しました。

午後3時くらいでしょうか、「痛なってきたわ」と言うので、控え室に移りました。私もついて行くと、「腰が痛いでさすって」と言います。さすってあげると、「あんたがさすると逆に痛い。ぜんぜんあかん。看護婦さん呼んで。」といいます。看護婦さんが、力いっぱいぎゅとさすると、さすがプロ。収まったようです。

それからだんだん痛くなって、「うー」というようなうめき声に変わってきました。私はどうすることもできず、「大丈夫か」、「大丈夫か」、と連呼するだけ。私は心細くなる一方です。

午後11時。とうとう我慢できず、分娩室へ。私も同行します。妻は痛いのを通り越したようで、「う~う~」しか言いません。私は妻の手を握ることしかできません。産婆さんがやさしく、「大丈夫やで」かける声に、私まで「うん」とうなずく始末。

お腹の子どもの心臓に付近にセンサーが当てられ、「ピー・ピー・ピー」と心臓の音がなり出しました。「頭が見えてきたよ」と産婆さんが言ったとき、センサーの音が止まりました。センサーが音を拾わなくなったようです。

「え?大丈夫か?」と思ったそのとき、「ウェー・ウエー・ウエー」という泣き声が聞こえました。産婆さんの手に、しわくちゃ輝之がのっていました。何かつかもうとしているのか天井の方に両手をあげて、小さい手のひらを大きく広げながら、分娩室いっぱいに大泣きです。約2000キロ。長い一日が終わった瞬間でした。産婆さん、お医者さん、看護婦さん、ほか助けて下さったみなさん、そして、一日うめいていた妻に感謝です。ありがとうございました。

 それから、4年経ちますが輝之の泣き声は、ほかの子どもに比べたら、やっぱり大きいようです。生まれたときの大泣きは今でも直っていません。一生、大泣きなのかもしれません。

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