2012年
12月
11日
火
2012年
11月
12日
月
4年前の12月23日天皇誕生日の朝のことです。私の携帯電話がなりました。もしもしと聞くと、妻の実家のお姉さんからでした。「なおな(妻のあだ名です)、生まれそうやから病院に入院したわ」。私は、急いで新金岡の大阪労災病院に向かいました。
お昼過ぎに到着すると、妻は何事もなかった顔をしています。「あれ、大丈夫?」と聞くと、「ちくちくするけど今は収まってるみたい」といいました。少し安心しました。
午後3時くらいでしょうか、「痛なってきたわ」と言うので、控え室に移りました。私もついて行くと、「腰が痛いでさすって」と言います。さすってあげると、「あんたがさすると逆に痛い。ぜんぜんあかん。看護婦さん呼んで。」といいます。看護婦さんが、力いっぱいぎゅとさすると、さすがプロ。収まったようです。
それからだんだん痛くなって、「うー」というようなうめき声に変わってきました。私はどうすることもできず、「大丈夫か」、「大丈夫か」、と連呼するだけ。私は心細くなる一方です。
午後11時。とうとう我慢できず、分娩室へ。私も同行します。妻は痛いのを通り越したようで、「う~う~」しか言いません。私は妻の手を握ることしかできません。産婆さんがやさしく、「大丈夫やで」かける声に、私まで「うん」とうなずく始末。
お腹の子どもの心臓に付近にセンサーが当てられ、「ピー・ピー・ピー」と心臓の音がなり出しました。「頭が見えてきたよ」と産婆さんが言ったとき、センサーの音が止まりました。センサーが音を拾わなくなったようです。
「え?大丈夫か?」と思ったそのとき、「ウェー・ウエー・ウエー」という泣き声が聞こえました。産婆さんの手に、しわくちゃ輝之がのっていました。何かつかもうとしているのか天井の方に両手をあげて、小さい手のひらを大きく広げながら、分娩室いっぱいに大泣きです。約2000キロ。長い一日が終わった瞬間でした。産婆さん、お医者さん、看護婦さん、ほか助けて下さったみなさん、そして、一日うめいていた妻に感謝です。ありがとうございました。
それから、4年経ちますが輝之の泣き声は、ほかの子どもに比べたら、やっぱり大きいようです。生まれたときの大泣きは今でも直っていません。一生、大泣きなのかもしれません。
2012年
10月
17日
水
保育園に通っていた6才のときのことです。休み時間に遊んでいると、松本君が来て、「山下くん、寺島くん、こっち来て」と呼ばれました。松本君は、「ここで、先生が来ないか見といてくれへん」と言ってあっちへ行ってしまいました。
向こうで楽しく遊んでいる松本君を見ていると、寺島くんに「何でぼくがここで立たなあかんのやろ。」と言って、なんかちょっと納得いきません。
しばらくすると、松本君が「どうや?」と行ってきました。ぼくは、ちょっと目を合わさずにいました。松本君はまわりを見て「大丈夫やな」と言いました。ぼくは、「何で松本君の思い通りにせなあかんのや」と思うと、無性に腹が立ってきました。
そのとき、突然、パチーンと音がしました。ぼくの手が思わず、松本君の背中を張っていたのです。松本君の背中は、ぼくの手のひらの跡が赤くなって、「痛い。よし、その調子や」と訳の分からないことを言って行ってしまいました。松本君もびっくりしたのでしょう。ぼくもしでかしてことにびっくりしました。松本君、ごめんね!
2012年
10月
15日
月
今から5年くらい前、私は東京のシステム監査部に転勤になりました。システム開発のことはさっぱりわからないまま、会社さんに訪問してもわけがわからず座っているだけの日々が続きました。上司からは、「お前、大丈夫?やる気あんの?」と言われました。私は、下を向いて、「すみません。」というしかありません。そんな日が2ヶ月続き、とうとう家から出られなくなりました。ある病院を見つけ、行ってみることにしました。
待合室で待っていると、「山下さん」と呼ばれ、診察室にドアを恐る恐る開けて入りました。すると、老齢な先生が椅子に深く座って、「ハイ、どうぞ」と声を掛けてくれました。私は、「どうなんのんのやろ」と心の中で思いながら座りました。
先生は、一通りのいきさつなどを聞きいてくれました。
しばらく考えた後、先生は、「そうすると、はじめて、その仕事を担当したんや。できなくてあたりまえやん。」
私は、「あ、そうか。その仕事ができなくてあたりまえやんか。出来へんもんは、出来へんのや。悩んでても仕方がないや。じゃあ、仕事ができるようになるよう上司と交渉するか、この仕事をやめるかという問題か」。ということを発見できました。
そこから得た教訓は、何か困ったことがあったら、適切な専門家に相談することです。
そうすれば、今まで直視することができなかった現実を見つめ、新たな方向性を自分に思いつかしてくれるかもしれません。
2012年
10月
12日
金
9月の第三土曜日に、3才の息子の幼稚園の運動会がありました。私は、幼稚園から手伝いを頼まれていました。朝7時過ぎから駐車場の車の誘導からはじまりました。運動会が始まると、白線を引き直したり、玉入れの準備をしたり、徒競走のライナーをしたり、鉄砲を撃ったりとお手伝いにいそしみました。
ようやくすべての競技が終わり、やれやれ帰れると思ったら、今度は「車が定員オーバーなので、パパは歩いて帰って」と妻から言われ、山の上の運動場から5キロくらいでしょうか、とぼとぼ歩いて帰りました。
ようやく家について、シャワーを浴びて、居間で横になってうとうとし始めました。
すると、「パパ、パパ」と息子の呼ぶ声が。「もう、ちょっと寝かせて」と言うと、また、「パパ、パパ」と呼んできます。「どうしたんや」と思い、起き上がって息子を見ると、「ハイ、どうぞ」と何かを持っています。「なんやろ」と思って、息子の手を見ると、それは、幼稚園からもらった金メダルでした。疲れが一気に飛びました。
それから、数日後、妻がうきうきしています。見ると首から、その金メダルをさげています。
金メダルの効果って、すごいですね。
疲れている人を見かけたら、金メダルを首に掛けてあげると、疲れが吹っ飛ぶかも。
2012年
10月
10日
水
小学校3年生のころです。学校から宿題がでました。それは、戦争体験を家族にインタビューすることでした。
早速、週末、おじいちゃん家につれて行ってもらいました。おじいちゃんは、医者をしていて、軍医として従軍したと言う話を聞き、「これはうってつけや!」と思ったからです。
おじいちゃん家につくと、レンズの分厚い丸いめがねをして、いつものように静かに本を読んでいました。
「おじいちゃん、おじいちゃん、学校から宿題が出て、戦争の体験をインタビューさせて!」と言いました。おじいちゃんは、少し考えたあと、「もうちょっと大きくなったらな」と言って、また、本を読み出しました。残念と思って家に帰りました。
母にそのことを言うと、母は「おじいちゃんは、南方に行ったみたいやからね。」ということでした。
それから、おじいちゃんが亡くなるまで戦争の体験談は聞けずじまいでした。軍医としてたくさんの兵隊さんを過酷な環境の中で治療したんやろなあと思うと、本当に敬意を表したいと思っています。
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